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連載 桑高百周年シリーズ 郷土史家 西羽晃(著)

桑高百周年シリーズ6
三重県立第二中学校の創立

三重県で男子が通う中学校は明治十三年(一八八〇)に津で創立されました。その後、県下で北勢・伊賀・南勢に一校づつの増設が図られました。三校設置は明治二十八年の三重県会に提案されました。伊賀は上野、南勢は宇治山田が問題なく決まりましたが、北勢は桑名町と四日市町とが誘致合戦を繰り広げました。桑名町は江戸時代の城下町から続く伝統ある町でしたし、四日市は明治になって港を中心として発展してきた新興の町でした。明治二十七年末の桑名町の人口は一八四五九人、四日市町の人口は一八六九二人とほぼ同じであり、経済力も競っていました。

県では四日市と桑名の中間をとって、大矢知に決めました。幕末の大矢知は忍藩の飛び地で、陣屋があり、藩の学校もあって、学問をするにふさわしい場所と考えられました。しかし、東海道とは離れており、通学するには不便であって、反対も多くありました。

最終的には富田に決まりました。現在の四日市高校の場所です。富田は東海道筋であり、すでに関西鉄道((現在のJR関西線)の富田駅があって桑名・四日市双方からの交通が便利な場所でした。

現在の富田は四日市市ですが、当時は富田村であり、江戸時代は桑名藩領であって、当時の桑名の人の意識としては富田は桑名の一部と考えていましたから、桑名に中学校が出来たと考えました。四日市の人は距離的に近いから納得しました。玉虫色の解決といえましょう。かくて明治三十二年に三重県立第二中学校が富田で開校し、後に三重県立富田中学校と改称しました。

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