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連載 桑高百周年シリーズ 郷土史家 西羽晃(著)

桑高百周年シリーズ15
小河内芳子(こごうちよしこ)さん

小河内芳子さんは明治41(1908)年3月16日桑名町で生まれました。今年で満100歳を迎えられました。大正13年(1924)年三重県立桑名高等女学校を卒業しました。入学した時は桑名郡立高等女学校だったのですが、途中で県立となったので、県立としては第2回目の卒業になります。東京へ出て、図書館学を学び、長らく東京市(東京都)の図書館に勤められ、児童図書の普及に努められました。勤務の傍ら、児童図書の普及のため、著作を著わされたり、各地へ講演へ赴かれました。児童図書研究会や各種の研究会・評議会の役員もされました。90歳ころまでは現役として活躍され、故郷の桑名でもたびたび話をされており、私も何度かお会いしました。100歳を越えられた現在は、病院で栄養分を補給されながら、闘病生活を送っておられるそうです。

小河内家は桑名藩の重役でした。最初は宝永6(1709)年、医師として仕え、200石10人扶持を貰いました。その後も200石前後の禄高を貰って、小姓や用人を勤めています。幕末には桑名・内堀に屋敷がありました。

明治維新以後も現在まで小河内家は同じ内堀に住んでおられます。芳子さんの父・小河内弥兵衛さんは大正9〜13年、昭和3(1928)〜4年に桑名町助役を勤められた方で、桑名の行政に尽されるとともに、桑名の発展にも大きな力を発揮されました。

芳子さんの兄である小河内泰三さんは昭和の戦時中に大阪で住んでおられましたが、昭和19年に家族は故郷の桑名・内堀の家に戻っていました。昭和20年7月17日に桑名は空襲を受けましたが、小河内家は無事でした。しかし心配した泰三さんが桑名に戻っていた7月24日に再び桑名空襲を受けました。その時に泰三さん夫妻と娘さん3人が近くの貝塚さんの屋敷(現貝塚公園)に逃げ込みました。落ちてきた爆弾のため、泰三さんと娘さん2人が爆死されました。その様子は生き残られた末娘の(安島)尚子さんが『桑名の空襲』(くわな空襲を語りつぐ会編)で書いておられます。

1世紀を生き抜かれた芳子さんが快復され、再びお話が聞けるように念願しています。

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