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連載 桑高百周年シリーズ 郷土史家 西羽晃(著)

桑高百周年シリーズ8
宮部桑陰と市橋ふで子

桑名のお寺で墓地を見ておりましたら、明治初期に桑名にいた2人の教育者の墓がありました。2人とも桑名高校に直接な関係はありませんが、世間では知られていない方なので紹介します。

1つは顕本寺にあります「桑陰宮部先生之墓」です。桑陰先生は本名は宮部勝三郎で桑陰は号です。桑名藩士として文政7年(1824)桑名で生まれました。三男です。次兄の名前は不明ですが、幕末に江戸で勤務しており、その時の日記が最近発見されました。私的な日記で、公的には現れない桑名藩江戸邸や江戸の町の記録として非常に興味ある資料であり、今夏には活字で出版されるそうです。

桑陰先生は桑名藩の学校である立教館の教員を幕末に勤めています。藩が廃止になってからは員弁郡大仲新田(現桑名市)に隠棲しますが、後に教育にあたっています。文武に優れ、酒をよく飲み、朗らかに喋るので、子弟たちは引き込まれて、話を聞きました。明治26年(1893)1月8日、享年70歳で亡くなりました。

もう1つは本統寺にあります「市橋ふで子先生墓」です。墓碑銘から計算すると、天保4年(1833)生まれのようです。桑名の武家には市橋姓はありませんから、桑名の町家の生まれかと思います。桑名町大字清水町の自宅で、女子のために裁縫練習場を開き、教育に努められました。明治36年(1903)1月5日、享年71歳で亡くなりました。その死を悼み、教え子の女性4人が発起人となり、墓を本統寺に建てました。ふで子先生のことは、この墓に書かれている以外にわかりませんが、教え子たちが立派な墓を建てるほどですから、素晴らしい教育者であったに違いありません。宮部桑陰先生・市橋ふで子先生について、ご存じの方がありましたら、ご教示願います(電話:0594−21−0980)。

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