桑高百周年シリーズ13
宮地雄吉と高橋俊人 |
昭和6年(1931)県立桑名中学校の2代目に校長に就任したのは、三重師範学校主席教諭であった宮地雄吉(1889−1985)である。彼は文化人であり、俳号を蛙子と称し句集『春潮』を出し、また歌集『航跡』を出している。桑中に赴任して2年目に校歌を作詞して、「尾野山の岡の上高く、聳え立つ我等が母校」と詠んでいる。8年には県視学官となったが、11年に県立富田中学校(現四日市高校)校長となり、ここでも校歌を作詞している。13年には県立宇治山田中学校(現宇治山田高校)校長となった。さらに14年には神戸市立神戸中学校(現神戸市立葺合高校)の初代校長となった。ここでも校歌を作詞している。25年に神戸で若草幼稚園を創設して、経営した。
昭和7年、桑名中学に赴任してきたのは高橋俊人(1898−1976)であった。彼は宮地に誘われて、浦和から移ってきた。9年に『歌集 寒食』を出版している。
桑名にて
旅づかれしるき妻子とあかときを桑名の驛におりたちにけり
古ぼけし單線電車はしりゐてわびしく長し桑名の町は
揖斐川をたどりて海へゆきし眼に知多の岬の日に光(て)れる見ゆ
旭ビルディング
三階ゆ見下す町のわびしさや家の絶えまに蓮田つづけり
赤須賀風景
冴えかへる日曜の午後を暇あり海を見んとて赤須賀に来つ
当時の桑名風景を偲ばせる情景が眼に浮かぶようである。彼は10年に県立津高等女学校(現津高校)へ転任し、12年から18年まで県立富田中学校で教鞭を執っている。その間の北勢地方での歌道の指導に当たった。退職後は生まれ故郷の藤沢に戻り、歌道の指導に努めている。