桑高百周年シリーズ18
桑名高校の硬式野球部 |
戦時中は野球部も消滅していましたが、戦後すぐに復活し1946年(昭和21)から大会も再開されました。そして旧制中学校が新制高校と変わった48年からは全国高校野球選手権大会となりました。桑名中学・桑名高校も毎年参加しています。49年夏は準決勝戦で山田高に3−0で敗れましたが、同年秋には県大会で山田高を3−2で雪辱して優勝しました。翌50年春にも県大会で優勝。しかし同年夏は準決勝戦で敗退。同年秋は再び県大会で優勝しました。51年夏も準決勝戦で敗退しました。このように49年から51年にかけては、桑高野球部の黄金時代でした。その中心は水谷勝吉・横山功・水越敏行・酒井敏明らでした。水谷は社会人野球で活躍し、横山・酒井は早稲田大学へ進み、神宮の森で活躍しました。酒井は更にプロ野球の中日ドラゴンズへ入団しました。後には中日スポーツ新聞の記者となり、2007年に死亡するまで野球との縁を続けました。水越は大阪大学教授となっており、文武両道に優れていました。
その後も桑高硬式野球部は夏の大会で準決勝戦までしか進んでいません。即ち55年に四日市高に11−6、90年に明野高に8−3、2002年に海星高に9−2で負けて、決勝戦への壁を打ち破ることが出来ていません。その中で特筆すべきは55年の大会です。この年は四日市高が好投手の高橋選手を擁して、甲子園に初陣で優勝した快記録を残しました。桑高は高橋投手から6点を得ましたが、失策や四球が多くて敗退しました。この6点は高橋投手が甲子園で優勝するまでに相手チームに与えた得点の中では最も多い得点です。即ち桑高が高橋投手に対して最も高得点を得ており、全国で2位の実力と言えます。桑高の浅井選手は5打数4安打と高橋投手を打ち崩しています。
2002年春には県下で桑高は優勝し、東海大会に出て、1回戦で中京大中京高に負けました。夏には優勝候補として前評判は高かったのですが、準決勝戦で敗退しました。この時に主将を務めていたのが川畑衣啓選手です。彼は早稲田大学に進学し、野球部の一軍選手として活躍しました。今春に大学を卒業する予定です。
いずれの日か、桑高は甲子園に出る日が来るのを楽しみにしているのですが。