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連載 桑高百周年シリーズ 郷土史家 西羽晃(著)

桑高百周年シリーズ22
川橋善作と真珠湾攻撃

昭和11年(1936)、桑名中学4年生の川橋善作は海軍兵学校を受験しました。身体検査合格者に対して、英語、数学、物理、漢文の学科試験が3日間行われました。三重県から約800人が受験しましたが、合格は2人だけ。彼も難関を突破できませんでした。

彼は長島の農家で、学費のかからない師範学校か、陸軍士官学校か、海軍兵学校を目指しました。翌年も海軍兵学校を受験しましたが、またも駄目でした。しかし、その年に新しく設けられた海軍甲種飛行予科練習生に受験して、見事に合格しました。三重県では50人のうち5人が合格しました。津中学2人、宇治山田中学2人と桑名中学の彼でした。

昭和13年3月に桑名中学を卒業して、すぐに横須賀海軍航空隊に入隊して、日夜飛行の猛訓練を受けました。月々火水木金々と土日(休日)のない訓練でした。ハワイ真珠湾の模型による爆撃訓練もありました。

昭和16年11月19日呉軍港を出発、ヒトカップ(単冠)湾に集結し、12月3日真珠湾北方洋上に達し、12月8日(現地では7日)早朝、真珠湾を総攻撃。

この攻撃に参加した川橋は『創立九十周年記念誌』(三重県立桑名高等学校 平成10年発行)に次のように書いています。

「やがて雲が切れて、雲間に白い波が海岸で砕けるのが見えた。オアフ島だ。高度を四千、四千五百、五千米まで上げる。金曜日に入港した筈の戦艦アリゾナと同型艦も見える。二番機(九七式艦攻)の私は、ダイヤモンド岬を目標に高度三千米から三百米まで下げ、カルフォニア型戦艦を目がけて魚雷投下二発。水深十二米の海面下九米を魚雷が走る。魚雷よりも航空機の方が勿論早いので、発射した魚雷は後方に見える。敵艦甲板で水兵が歯ブラシを使っているのが見える。反撃はない。やがて百三十米位の水柱が上がる。あちこちで水柱が上がる。攻撃成功。(中略)真珠湾攻撃が終了して十二月二十四日帰国、」

翌年5月に母校の桑名中学で後輩たちに体験談を話しました。その後のミッドウェイでの海戦で辛うじて一命を取止め、戦後の彼は桑名で社会人として活躍しました。

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