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連載 桑高百周年シリーズ 郷土史家 西羽晃(著)

桑高百周年シリーズ27
桑名中学の学徒動員での出来事

日本が太平洋戦争に突入し、日本中が狂気の沙汰に陥ったことは前にも書きましたが、その一つに学徒動員があります。中学生や女学生たちもペンを捨てて工場でハンマーを握りました。最初は限られた期間だったのが、1944(昭和19)年には通年動員となり、毎日学校へ通学せずに、工場へ通勤する有様でした。遠方の工場の場合は親元を離れて、寮に入っての生活になりました。桑名中学の場合は当時の下河校長が強く希望を出して、桑名の工場勤務となりました。

桑名中学4年生は東洋ベアリング(現NTN)、山本鋳造(今のアピタのところ)、日立製作所(現日立金属)へ通勤しました。慣れぬ労働に疲れ果てながらも、異性とも接する機会があり、心がときめくこともありました。

44年11月3日、当時は明治節(明治天皇の誕生日)と言われる祝日のため、工場へ行かずに学校での式典に久しぶりに全校生徒が集まりました。山本鋳造組は休日にならず、式典が終了しだいに工場へ出勤するように言われていましたが、東洋ベアリング組や日立製作所組は休日なので工場へ行かなくてよいとの話が伝わました。この話を聞いた山本組一同は工場へ行かずにサボタージュをしてしまった。翌日には呼び出されて、体罰を受けました。

45年の早春、級友が海軍兵学校へ合格しました。第五国民学校(現益世小学校)の同級生だった者たちが、相川町の肉屋・柿安の2階で壮行会を開きました。食料不足の時代でしたが、酒屋の息子が父から提供された1升の酒を持ってきて、皆で飲みました。最後は第五国民学校の校庭で大声をあげて軍歌を歌いました。後日、桑名中学の校長室に呼び出されました。退学処分を受けるかとハラハラしながら出頭すると、下河校長から尋問を受け、「時局は重大だ。お国のために一生懸命やりなさい」と謹慎処分で済みました。下河校長は英語の先生で東京で教師をしている頃には外人教師が家に遊びに来ており、非常にリベラルな人でした。彼にとっては「お国のために」戦争に協力させられ、心ならずも教え子たちを戦場へ送らねばならぬ、無念の時代だったろう。

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