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連載 幕末・維新の桑名藩シリーズ 郷土史家 西羽晃(著)

幕末・維新の桑名藩シリーズ07
松平越中守家の江戸屋敷(4)

本シリーズ04の松平越中守家の江戸屋敷(1)で国立公文書館に所蔵されている「諸向地面取調書」に基づいて桑名藩の江戸屋敷を書いたが、その文書は某氏から貰ったものであった。このほど原資料が記載されている出版本(汲古書院発行『内閣文庫所蔵史籍叢書刊』第14巻)を調べたら、不足分があった。「安易な引用、孫引きは危険で、常に原資料に当たれ」、という基本をまざまざと認識させられた。

追加分を列記すると
抱地   海辺新田     4620坪
町屋敷  深川入舟町    1821坪7合
抱屋敷  八王子本宿    2728坪     家来大橋助左衛門所持
町並屋敷 深川海辺大工町代地御入合
     深川清住町     517坪7合   家来内藤忠次郎所持住宅
町屋敷  巻嶋(ママ)町       176坪8合8勺 家来内藤忠次郎所持
町屋敷  三十間堀四丁目   100坪     家来内藤忠次郎所持
                外に同所65坪河岸地
町屋敷  三十間堀四丁目   100坪     家来内藤忠次郎所持
                外に同所65坪河岸地
町並屋敷 深川海辺大工町裏地 823坪     家来内藤忠次郎所持
町並屋敷 深川海辺大工町裏地 237坪6合   家来内藤忠次郎所持
町並屋敷 深川海辺大工町浦地   9坪9合   家来内藤忠次郎所持
町並屋敷 深川清住町     108坪5合3勺 家来内藤忠次郎所持
                外に97坪7合5勺河岸地
町並屋敷 深川清住町      47坪     家来内藤忠次郎所持
町屋敷  深川北松代弐丁目 132坪8合9勺 家来内藤忠次郎所持
                外に42坪9合3勺河岸地
町並屋敷 深川北松代町裏   115坪     家来内藤忠次郎所持
町並屋敷 深川北松代町裏   115坪     家来内藤忠次郎所持
町並屋敷 深川北松代町裏   115坪     家来内藤忠次郎所持
町屋敷  浅草東仲町中横町  100坪     家来内藤忠次郎所持
町屋敷  宇田川町       80坪     家来医師伊東治碩(ママ)所持

家来の所持屋敷が多くあることが注目される。この文書は安政3(1856)年ころであるが、万延元年(1860)の『桑名藩分限帳』」(桑名市教育委員会 平成元年発行)を見ると、大橋助左衛門と医師伊東治碩(ママ)の名は見あたらない。ただ8石2人扶持の番組で大橋右衛門があり、江戸詰である。左と右の書き違いとも考えられが、疑問である。また医師伊東治碩(ママ)については、御馬廻60石の伊東金八郎がおり、その先祖は医師として召し抱えられている。この2人が上記の2人に当たるのかは不明である。

内藤忠次郎は沢山の屋敷を所持しているが、上記の桑名藩分限帳では「600石、御勘定頭席、江戸深川御内用懸リ」とあり、「御内用懸リ」とは藩に資金を提供している商人である。内藤は深川に多くの屋敷を持った商人で、桑名藩に多額の資金を提供し、600石を貰う藩士に取り立てられていたと思われる。ちなみに桑名藩で600石は家老クラスである。本シリーズ05と06で書いた茅場町の永岡儀兵衛も同様な立場で300石25人扶持を受けている。

どの藩でも有力な商人から資金を借りる見返りとして、商人に扶持を与え、藩士に取り立てるケースが多く見られる。上記の万延元年『桑名藩分限帳』では桑名領内の有力農民のみならず、大坂の鴻池・升屋・千草屋・辰己屋・天王寺屋・加嶋屋・笹屋・備前屋・明石屋・岩井屋・玉屋に扶持を与えている。その他では四日市・松坂・摂津神戸と、江戸の米問屋数人・材木屋にも扶持を与えている。この分限帳には桑名町・柏崎町の商人の名が見られないのが、不可思議である

なお桑名藩に居たことがある、忍藩の松平(奥平)下総守家では桑名の豪商である山田彦左衛門を藩士に取り立てているが、山田彦左衛門が所持する、江戸中ノ郷村の屋敷220坪、本船町の屋敷261坪余などを松平下総家に貸している。(2011.04.23)

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