幕末・維新の桑名藩シリーズ20
桑名藩の軍艦買入れ交渉 |
日本が幕末に開国し、外国と交易を始めますが、外国人の商人が色々な品物を売り込んできます。大砲・鉄砲・銃弾などの武器も盛んに売り込まれました。武器の中でも最大のものは軍艦です。幕府を始め有力な19藩が軍艦を買い入れ、その数は80隻にもなりました。桑名藩も海に面した藩ですから、軍艦が欲しかったようです。桑名藩の学校である立教館の先生であった井上右仲が代表者となって、西洋暦の1867年5月10日(当時の日本暦では慶応3年4月7日)に横浜でアメリカの商人・オールロと交渉を始めます。桑名藩からは矢田半右衛門が付き添います。立会いとして幕府の役人も同席します。通訳は横浜在住と長崎在住の2人が当たります。
まず、蒸気船を扱える者が居ないと言うと、外国人を3人雇うべきと言われます。
次に桑名藩としては木造船の方が修理しやすいので、木造船を希望しますが、現在は世界的に鉄船の時代になっており、遠くの海に出かけるのは、鉄船の方はよろしい。修理もドッグがありますから、簡単に修理できます、との答えでした。
その後も何度も交渉が続けられました。幕府や諸藩が買い入れた船の多くは中古の船をを新品のように誤魔化して売っていますが、今回の鉄製蒸気船は名前は「ドラゴン」で、新品の丈夫な船です。値段は8万両で、倉庫・帆・小船・軍備一切を含めています。手付金として5000両です。
桑名藩としては支払方法を交渉します。桑名藩にとって8万両は大金です。1年分の総収入を当てても足らない金額です。ただでさえ幕末の財政難に苦しんでいる時期です。取り敢えずは2万両の現金を払い、残りは藩内の生産物と分割払いを申出ました。
オールロは西洋暦の同年8月3日付けで、30日以内に2万両、10月26日までに2万両、翌年の1868年1月24日までに2万両、3月までに残りの2万両を支払うように要求した。そして履行されない時は手付金として5000両を没収すると通告してきました。
結果は不詳ですが、桑名藩が鉄の蒸気船を所有した形跡がありませんので、交渉は決裂し、5000両の手付金はフイになってしまったようです。